台風19号で大きな被害に見舞われた宮城県丸森町の子安地区では、家屋が土砂で流されて4人が行方不明となり、17日も捜索が続けられた。自然災害の脅威を物語る現場で、母親ら親族の捜索に自ら参加する男性がいる。「もっと腹を割って話せばよかった」。過去の自分に言い聞かせながら、懸命な捜索を続ける。
山あいにある同地区では山頂付近から土肌があらわになり、人の背丈よりもはるかに大きな岩が数え切れないほど転がっていた。
大槻恵太さん(36)=宮城県名取市=は13日午前7時ごろ、近隣住民から「家がない」と連絡を受け、丸森町の実家に車を走らせた。実家にたどりつくと、目の前に広がっていたのは膨大な土砂。実家は基礎以外がなくなり、思い出の品も見当たらない。頭が真っ白になった。
県警によると、家には恵太さんの母、利子さん、祖母の竹子さんがおり、利子さんの妹の小野正子さん(62)、夫の新一さんが避難していたが、4人は行方不明となった。16日から本格的な捜索が始まり、17日は警察官ら100人に、自衛隊や消防も加わった。
幼いころに父を亡くし、一人息子だった恵太さんに対し、団体職員だった利子さんは時に父親のように厳しく接した。やんちゃだった学生時代にはよく怒られた。一方で、陸上部の駅伝大会では内緒で沿道に立ち、横断幕を掲げてくれた利子さんの姿が今も忘れられない。「頑張れとか、飛べとか書いてあった。恥ずかしくて見られなかった」。優しい母だった。
利子さんとけんかしたとき、仲裁してくれたのは竹子さんと祖父の利助さんだった。こっそり野良猫を庭に連れてきたら、「一緒に飼おう」と言ってくれた。竹子さんが作ってくれたフキノトウと、みそのつくだ煮は「この先、これ以上おいしいと思うものはない」ほどの美味だった。
退職してからは、よさこい踊りなどの趣味に打ち込み始めていたという利子さん。独立していた恵太さんも実家からは足が遠のいていた。数年前の利助さんの葬儀で「元気か」「どこに住んでるの」と声を掛けられたのが、利子さん、竹子さんの2人ときちんと交わした最後の会話だった。「こうなるなら、もっと早く足を運んでいればよかった」。恵太さんはつぶやいた。(千葉元)
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